御由緒

日光街道・奥州街道の宿場町「草加」に鎮座する草加神社

 

当社は安土桃山時代の天正年間頃(1573年~1585年)に、武蔵國三之宮なる大宮氷川神社の御霊を分け戴きて小祀を祭りしに起縁します。

 

寛永7年(1630年)に草加宿は千住宿に次ぐ、江戸・日本橋から数えて2番目の宿場として誕生しました。

当社は草加宿が整備されるとともに崇敬を集め、享保2年(1717年)神階正一位の宣旨を賜り、文政(力石)、嘉永(本殿修造)、文久(手水舎)の建造物の銘から、江戸中期より後期にかけ現在の境内様相になったともの推察されます。

 

正徳3年(1713年)草加宿に宿場の鎮守様として神明宮を建立以後、それに伴い各村々(北草加村・与左衛門新田・弥惣右衛門新田・谷古宇村・立野村・宿篠葉村・吉笹原村・原島村)に鎮守様を祀り、当社は南草加村の鎮守様として祀られておりました。

 

明治40年(1907年)政令により当時の草加町内に御鎮座する諸神社十一社を当社に合祀し、明治42年(1909年)4月6日に社号を氷川神社改め草加神社と改称し文字通り、草加総鎮守の役割を担っております。 

 

御祭神は素盞鳴命・櫛稲田姫命二柱の大神様。

境内にある末社を含めると十柱の神様がお祀りされています。